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ふるさと納税関係

自民党中谷氏「地域に主権があるとはおぞましい」 中谷氏が考える主権者とは誰なのか?地方自治の考えはどこに?

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自民党に所属する中谷元議員が、「地域に主権があるとはおぞましいことだ」と発言していました。
最近のふるさと納税などの流れを見ると、当ブログのテーマと全く無関係ではないのかな、と思い今回は急きょ、書き散らしてみました。

長くなりそうなうえに、書いているうちにヒートアップしてまとまりがなくなりそうなので、最初に三行で私の考えをまとめておきます(興味がないひとは、この三行だけ読んで戻るボタンを押すことをオススメします)。

○そもそも主権者は国民であり、地域住民。憲法で「地域主権」について言及するのはおかしい。
○主権者である私たち国民=地域住民が自分たちの地域を運営することを地域主権という。だから、地方自治の考え方に照らせば、地域に主権があると考えるのは妥当。
○地域主権をおぞましい、と国が一蹴して国家主権をすすめることは、全体主義の始まりでありもっと「おぞましい」。

 

 

そもそも、この「地域に主権があるとはおぞましい」という発言の経緯を見る必要があります。

今回の、自民党の中谷氏の発言について各紙が報じました(私は読売新聞で記事を見ました)が、ネットで記事が見つけられるのは信濃毎日新聞だけだったので、とりあえずその記事を引用します。

 見過ごすわけにいかない。

衆院憲法審査会での自民党中谷元氏の発言である。地方自治に関連して「地域に主権があるとはおぞましいことだ」と述べた。

「国と地方の在り方」をテーマに開いた審査会である。参考人として招いた4人の専門家から考えを聞き、意見を交わした。
その中で明治大の大津浩教授はこう述べた。
地域主権には国民主権をより豊かにする意味がある。地域に暮らす市民が地方の政治に参加することを通じて国をよくしていく、という考え方は重要だ―。

「おぞましい」はこの見解に反論する中での発言だ。中谷氏は「国の安全保障と、生命、暮らしを守る地方権限のあり方について、憲法にあらかじめ明記する必要がある」とも述べた。
主権はあくまで国のもの。そのことを改憲ではっきりさせたい。そんな発想と受け取れる。

引用元:信濃毎日新聞web「憲法の岐路 地域主権 「おぞましい」の不見識」

 

 

最初、私はこのニュースを見たとき、
「ああ、主権者はあくまで国民にあるんだから、地域が主権を持つなんて考え方はおかしいよな」と読み砕いて、スルーしそうになりました。

しかしよくよく読んでみると、この発言の真意は「主権は国家にあり、それぞれの地域が主権を主張するのはおかしい。地方に与えられた権限の中で自治すべきで、国と対等な主権を持つなんておぞましい」という意図のように読めて仕方がないのです。

「国の安全保障と、生命、暮らしを守る地方権限のあり方について、憲法にあらかじめ明記する必要がある」という発言は明らかに、「地方の権限は住民の生活維持くらいのレベルに限られるべきで、地方の権限は地方では決めさせない」という考えがにじみ出ているように見えます。

 

そもそも国家や地域が主権を持つというところから、現行憲法に定められる国民主権とはどこにいったのかと、なんともモヤモヤする話なんですが。
最近では、「地域住民が主権者として地域を運営する」という意味で「地域主権」という言葉が使われているようです。
あくまで主権者は私たち地域住民であるというという考えかたをもとにした言葉が「地域主権」なわけですから、言葉こそ誤解を招く恐れがあるものの、考え方は正しいのかな、と思います。

 

しかし、今回の自民党中谷元議員の発言は、「国が地域に権利を与えてあげている」という考え方に基づくものに感じられます。
これは、明らかに「主権者=国家」の考えに基づくもので、国民主権の考え方と相反します。

 

これまで議論されて、進められてきたはずの地方自治の考え方は一体どこに行ってしまったのかと。
今回の「憲法にあらかじめ明記する必要がある」という発言を見るに、これまである程度現行憲法で解釈できる範囲で認めていた地方自治の考え方を、国が改めて憲法で定めて、それ以外のことはできなくするつもりのように見えます。

 

地方自治っていうのはどういう概念かというと、「私たちは日本国民であると同時に、この地域の住民なんだから、この地域の運営は私たちが決めるぞ」という考え方です。

もちろん、国が認める範囲内で、倫理道徳に反さない自治が求められるわけで、好き勝手な運営ができるわけではありません。
そもそも国からの交付金がないと地方の運営は成り立たないので、地方自治体は日本政府によって首根っこをつかまれている状態です。
ですから、国が認める範囲内で自治できるという点では、地方自治は国ありきの概念であり、本当の意味で地域主権を認めると、治外法権などのトンデモなお話になるので「おぞましい」、という考えなのであれば一定の範囲で理解できます。

 

しかし、この議論のなかであえて「おぞましい」という言葉を使ったことを考えるに、そのような一般常識レベルの考えで物事を話しているとは思えないのです。
つまり、この中谷氏という人物は「地方=国があやつる傀儡」くらいの認識だったんじゃないかな、と思ってしまう。

 

たとえば、ふるさと納税(やっと当ブログのテーマに則した話が!)。
いまのところ、ふるさと納税の返礼品は寄付金額の3割までにしなさい、というのは国から地域への「お願い」のようなものです。
ふるさと納税の制度が本来の国の考えと違った形で運用されているとはいえ、地域には、国の通達に従う義務はありません。

しかし、憲法により地方の裁量権が取り上げられてしまえば、ふるさと納税の返礼品について、国の思い通りにすることができてしまいます。
それどころか、ふるさと納税によって集まった寄付金を地方がどのように使うかも、国が口出ししてくるという可能性もあります。
福島県にふるさと納税して、避難住民の支援に使ってほしいと思ったのに、国によって原発再稼働のための準備金として使われてしまうとか。
もちろん、これは極論じみた話ですが、国が地方行政に口を出すというのは、そういうリスクも隠れているんです。

 

 

もっとも恐ろしいのは、国(内閣や高級官僚)が地方行政を支配し、国家集権を進めていくことです。

「それぞれの自治体がバラバラのことをするのではなく、一つの国家単位で理想を実現するために行動すべきだ」という考え方は、一見合理的です。
しかし、私は国家集権は、よりいっそう日本の国力を落とすことにつながるだろうと考えています。

国に権限を集中させてしまうと、地方に配分される税金はすべて、国の思うがままになるでしょう。
そうすると、当然地方自治体は担税力を落としてしまう。独自の取り組みをしなくても国が必要なお金をくれるから。
地方独自の取り組みなんて行わず、とにかく日本のための地方行政が運営されていくことになる。

それは、「地域=国家のためにあるもの」ということ。
たとえ国家が間違った方向に進みそうになっったとしても、地域がブレーキをかけることができなくなる。
地域の発展のために地域住民が一丸となって取り組むということもできなくなるかもしれない。

 

どういう意味で「地域主権がおぞましい」のか、中谷さんはより深く説明しなくてはならないのではないでしょうか。

 

 

憲法で地方の権限を定めるなんていうのは、国が地方の能力に制限をかけてしまうのと同じことです。
そもそも憲法で主権の所在を国家とするとか、国家のための憲法を作るなんて言うのは論外なんです。
憲法というのは本来、国の横暴から自分たちを守るために、住民が権力者に認めさせたものなんだから。

憲法を国の独断で作って、「国のために尽くしなさい」なんていうような憲法はおかしいわけ。
憲法の改正自体はいずれすべきことかもしれませんが、少なくともブレーキ役が不在のように見える現政権では勘弁してほしいですね。

 

 

 

 

うーん、危惧したとおり、なんともとりとめのない内容・・・(-_-;)
それなりに長文になりましたが、いずれこっそり記事を消しているかもしれません。

また明日からは、なるべく通常運転に戻しますのでポイしないで

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